会社でブログを作成。嗚呼甘美なるサボタージュ。
新規構想を忘れないうちにメモ:
構成:日記、ブログ、Eメール、エクリチュールの切れ端のコラージュ、
→声のポリフォニー
場所:アメリカ東海岸
時:二月、極寒
主体:常に流転する、不在の作者―場面場面でのauthors、monologueにデリダ的バツをつける(発せられた言葉たち、記録/記憶される書かれたもの。
「内面」なんて存在しない。
「語ることによって(モノローグによって)初めて内面が生産される」
Writings and differences, by Jacque Derrida
モティーフ/キーワード :
発話、誰かに向けられた(ラカンの『エクリ』、ポーの”the purloined letter” を参照せよ)
言葉と、死の跳躍(交換、交感、『絶望という病』)
産業予備軍としての主婦、因習的な男女関係とリベラリズム(家庭に張り巡らされた権力のウェッブと、身体に浸透した男女の歴史性、差異)、革命的な主体と歴史的に捉えられなかった主体―所謂ルンペンプロレタリアート等ーの蜂起、interwindings of writings by the so called intelligentsia and the those people who have been excluded will illuminate the creation of new space filled with differences.
the objectives:
to liberate the parole that has been repressed in patriarchal space (i.e., the capitalist society, the conventional system of repression called ie); to state the moment of confrontation/the struggle of activists; at the same time to illustrate the struggle within the conventionally constrained relationship between women and men.
authors:
A. women in the struggle in Hyde park
B. the so-called intelligentsia
C. activists/independent scholars lived in NY
D. local activists (model=Midwest unrest)
E. women in California, (preferably, prison activist??)
2007年11月30日金曜日
トウソウ本能
今日も時間に区切られ、等分に均質化され平均化された労働力商品としての諸力―身体的であり精神的なキャパシティ―を賃金と交換するサラリー女的日常を過ごしております。そして身体即精神的キャパシティーの商品化を前提に成り立つ、この高度に発展された資本主義社会に、亀裂を走らせる引っかき瑕を内側から、逃走線として刻印し続けていくことを常に、欲望しております。抽象的かもしれないけれど、昔の人々が描いていた「来たるべき」あまい夢のような革命ではなく、いま、ここで、もうひとつの世界を想像し、そして創造していくことを切実に欲している。
例えば:
抗議運動、ワークショップへの参加、労働の(プチ)サボタージュ、従順な労働者=消費者であるものだけが享受できる「自由」を切り売りする、歪められた民主主義社会における「一票」である消費へのサボタージュ、あるいは多国籍企業批判としての非購買行為(搾取工場製品、いわゆる大量生産「ブランド」商品、地球温暖化を加速化させ人々のスペースであるストリートを暴力的に占拠する車)、ブルジョアイデオロギーに塗り固められたコンヴェンショナルな関係―性差を問わず―へ常に疑問を抱き、あらたな他者との関係性を模索し構築していくこと。
何よりも重要なのは、考え続け、考え抜くこと。
ミシェル・フーコーの云う権力のテクノロジーは網の目のように張り巡らされ、思考停止に陥った主体が跳梁跋扈し、資本主義的日常という「自然」を絶え間なく生産/再生産する。さまざまなinstitutes―学校、職場、法、警察、そして大型ショッピングモール?!―を通じて、ネオリベイデオロギーは浸透し、ハイパー消費主義は人々の思考停止を促す麻酔のような刹那的快楽を提供し続ける。あたかもオルタナティヴなんて存在しないかのように、メディアは巧妙に造られた幻想を流布し続け、世論/世間という神話的共同幻想を構築する。この権力のテクノロジーが張り巡らされた日常という、資本の無謀なドライヴによって形成され、暴力的に汚染された「自然」を生きることは、進化と順応のパラドックスを生む。汚染された空気を吸い続けることによって、その毒に耐え切れなかったはずの肺はいつしか進化し、生命活動を存続させることが可能になるかのように、権力の暴力はまるで大昔から空気中に偏在しているかのように、自然なものとして、汚染された日常を生産/再生産し続ける。
いまここで必要なのは、本能に従うこと。植民地化された身体を脱領土化し、からだが欲するまましなやかに巧妙に仕組まれた権力の網目から逃走し、隙間から流れ出す新鮮な空気を享受するために闘争していくこと。
ヒポコンデリーの沼に沈んでいる暇はない。
自らのトウソウ本能のままに、逃走/闘争せよ。
例えば:
抗議運動、ワークショップへの参加、労働の(プチ)サボタージュ、従順な労働者=消費者であるものだけが享受できる「自由」を切り売りする、歪められた民主主義社会における「一票」である消費へのサボタージュ、あるいは多国籍企業批判としての非購買行為(搾取工場製品、いわゆる大量生産「ブランド」商品、地球温暖化を加速化させ人々のスペースであるストリートを暴力的に占拠する車)、ブルジョアイデオロギーに塗り固められたコンヴェンショナルな関係―性差を問わず―へ常に疑問を抱き、あらたな他者との関係性を模索し構築していくこと。
何よりも重要なのは、考え続け、考え抜くこと。
ミシェル・フーコーの云う権力のテクノロジーは網の目のように張り巡らされ、思考停止に陥った主体が跳梁跋扈し、資本主義的日常という「自然」を絶え間なく生産/再生産する。さまざまなinstitutes―学校、職場、法、警察、そして大型ショッピングモール?!―を通じて、ネオリベイデオロギーは浸透し、ハイパー消費主義は人々の思考停止を促す麻酔のような刹那的快楽を提供し続ける。あたかもオルタナティヴなんて存在しないかのように、メディアは巧妙に造られた幻想を流布し続け、世論/世間という神話的共同幻想を構築する。この権力のテクノロジーが張り巡らされた日常という、資本の無謀なドライヴによって形成され、暴力的に汚染された「自然」を生きることは、進化と順応のパラドックスを生む。汚染された空気を吸い続けることによって、その毒に耐え切れなかったはずの肺はいつしか進化し、生命活動を存続させることが可能になるかのように、権力の暴力はまるで大昔から空気中に偏在しているかのように、自然なものとして、汚染された日常を生産/再生産し続ける。
いまここで必要なのは、本能に従うこと。植民地化された身体を脱領土化し、からだが欲するまましなやかに巧妙に仕組まれた権力の網目から逃走し、隙間から流れ出す新鮮な空気を享受するために闘争していくこと。
ヒポコンデリーの沼に沈んでいる暇はない。
自らのトウソウ本能のままに、逃走/闘争せよ。
2007年10月11日木曜日
Blog as the appratus of monologue?
いつもブログを書くたびに考える。
ネット空間で「書く」という作業は、自己完結型な独白なのであろうか?
それとも自分の思考に、あるレベルの客観性を与えるために必要な、
プラットフォームとして、ブログというネット上の空間を使用しているのか?
「書く」という作業は「読まれる」という行為を前提に行われ、
言葉を紡ぎだす主体は、読者=他者の存在を想定して書く。
ネット上に有象無象に存在している他者=読者を想定し、
自分の思考を言葉として具現化し、深化させること。
この意味でブログは或る意味、思考の客観性を保つ1つの装置となる。
なぜなら他者に読まれることを大前提として書かれるものだから。
お友達相手ではなく、ネット上に有象無象に存在する、
絶対的差異をもつ他者にむけて、放たれる言葉。
と、モノローグ装置としてブログを活用しても、たまにはいいでしょ(苦笑)
ネット空間で「書く」という作業は、自己完結型な独白なのであろうか?
それとも自分の思考に、あるレベルの客観性を与えるために必要な、
プラットフォームとして、ブログというネット上の空間を使用しているのか?
「書く」という作業は「読まれる」という行為を前提に行われ、
言葉を紡ぎだす主体は、読者=他者の存在を想定して書く。
ネット上に有象無象に存在している他者=読者を想定し、
自分の思考を言葉として具現化し、深化させること。
この意味でブログは或る意味、思考の客観性を保つ1つの装置となる。
なぜなら他者に読まれることを大前提として書かれるものだから。
お友達相手ではなく、ネット上に有象無象に存在する、
絶対的差異をもつ他者にむけて、放たれる言葉。
と、モノローグ装置としてブログを活用しても、たまにはいいでしょ(苦笑)
2007年9月21日金曜日
最近気になること
興味の対象は、分裂的に広がっていく。
最近のニュースで気になる対象を箇条書きにすると:
1.サブプライムローンの焦げ付きと金融バブル
→世界的に飛び火する金融危機。
貧困層の限られた資本力さえも巻き込み自滅する、
資本の無謀なドライヴ。
2.日本のパキスタン軍への給油活動、そして国連の「謝意」
→自民党総裁選へと向けた保守派の苦肉の策。
国連において権限を持たない国が、国連をコントロールする某国が行う、
泥沼の戦争支援をすることによって得る、反対勢力である民主党への牽制。
3.地球温暖化による永久凍土の溶解による大量のメタンガスの発生
→二酸化炭素の数十倍にもおよぶ温暖化ガスのemission。
温暖化が温暖化を生む、生命の危機。
最近のニュースで気になる対象を箇条書きにすると:
1.サブプライムローンの焦げ付きと金融バブル
→世界的に飛び火する金融危機。
貧困層の限られた資本力さえも巻き込み自滅する、
資本の無謀なドライヴ。
2.日本のパキスタン軍への給油活動、そして国連の「謝意」
→自民党総裁選へと向けた保守派の苦肉の策。
国連において権限を持たない国が、国連をコントロールする某国が行う、
泥沼の戦争支援をすることによって得る、反対勢力である民主党への牽制。
3.地球温暖化による永久凍土の溶解による大量のメタンガスの発生
→二酸化炭素の数十倍にもおよぶ温暖化ガスのemission。
温暖化が温暖化を生む、生命の危機。
2007年9月16日日曜日
before then
http://stop-rokkasho.org/read/before-then-j.html
Norma Fieldの詩を読んでいたら、 やっぱり音を聴きたくなりました。
http://stop-rokkasho.org/media/1/67_before-then.mp3
放射性廃棄物の再処理工場では、 原発が出す一年分の放射能を、
一日で放出する。
日本中の原発の廃棄物は、六ヶ所村に集められ処理される。
青森県六ヶ所村の海や空や大地や鳥や魚や花や人は、
垂れ流しのプルトニウムで汚染され放題。
あたしが大好きな、蜜がぎっしり詰まった林檎を 齧った瞬間、
ヒバクしてしまうってことかしら。
So what's gonna happen after all?
新聞のヘッドラインは無味乾燥に原発事故を報道する。
目に見えない放射能は、ひたひたと命を侵食する。
だから、想像するしかない。
あたしの呼吸と六ヶ所村の空はつながっている。
だけどメディアは、あたかも繋がっていないように、報道する。
過剰なセンティメントとは距離を置いたつもりなのに、 想像してしまう。
after allではなくbefore thenの可能性を。
Norma Fieldの詩を読んでいたら、 やっぱり音を聴きたくなりました。
http://stop-rokkasho.org/media/1/67_before-then.mp3
放射性廃棄物の再処理工場では、 原発が出す一年分の放射能を、
一日で放出する。
日本中の原発の廃棄物は、六ヶ所村に集められ処理される。
青森県六ヶ所村の海や空や大地や鳥や魚や花や人は、
垂れ流しのプルトニウムで汚染され放題。
あたしが大好きな、蜜がぎっしり詰まった林檎を 齧った瞬間、
ヒバクしてしまうってことかしら。
So what's gonna happen after all?
新聞のヘッドラインは無味乾燥に原発事故を報道する。
目に見えない放射能は、ひたひたと命を侵食する。
だから、想像するしかない。
あたしの呼吸と六ヶ所村の空はつながっている。
だけどメディアは、あたかも繋がっていないように、報道する。
過剰なセンティメントとは距離を置いたつもりなのに、 想像してしまう。
after allではなくbefore thenの可能性を。
過去日記その2
I shop therefore I am. 我買う故に我あり。 資本主義的デカルト型人生。
テレビの電源を入れるとコマーシャルが五月蝿い。
受動的に摂取する情報の、オートマティックな刷り込み。
これを買うとあなたは幸せになれますよ。
これを所有すると、ステキなライフスタイルが約束されます。
だから買ってね、にっこり。極上の、洗練された笑顔。
企業の欲望のメッセンジャー。
快楽原則=更なる資本の蓄積と富の集中。
CMには耳障りの良いコピー、手ぬるいBGM、
そして 旧共産圏の国営放送の主人公みたいな笑顔しか出てこない。
にっこり。幸福の徴しである笑顔。
笑顔イデオロギーは宣伝媒体を介して、日常に侵食してくる。
あたしにとってそれは余りにも健康的で人工的で、白々しく、空恐ろしい。
稀にアクシデントで、モールやデパートに迷い込んでしまう。
消費空間は至るところに待ち受けているから、回避不可能。
大量生産プラスティックとメイドイン搾取工場お洋服に包囲され、 膨大な量のモノと情報のインフレーションにくらくらと眩暈。 陳列された沢山の商品。倉庫での大量虐殺が約束されたモノ。 メディアと企業が手を組んで、技術的に生み出される流行。 虐殺を免れるか否かは、多国籍企業の戦略に依存している。 ダーウィン的淘汰。資本主義が形成する「自然」のなかで。 流行としての価値。
流行としてのハイテンポな情報更新。
「つまり・・・モノの価値=時間を奪い取ることである」
『消費社会の神話と構造』ジャン・ボードリアール
テレビの電源を入れるとコマーシャルが五月蝿い。
受動的に摂取する情報の、オートマティックな刷り込み。
これを買うとあなたは幸せになれますよ。
これを所有すると、ステキなライフスタイルが約束されます。
だから買ってね、にっこり。極上の、洗練された笑顔。
企業の欲望のメッセンジャー。
快楽原則=更なる資本の蓄積と富の集中。
CMには耳障りの良いコピー、手ぬるいBGM、
そして 旧共産圏の国営放送の主人公みたいな笑顔しか出てこない。
にっこり。幸福の徴しである笑顔。
笑顔イデオロギーは宣伝媒体を介して、日常に侵食してくる。
あたしにとってそれは余りにも健康的で人工的で、白々しく、空恐ろしい。
稀にアクシデントで、モールやデパートに迷い込んでしまう。
消費空間は至るところに待ち受けているから、回避不可能。
大量生産プラスティックとメイドイン搾取工場お洋服に包囲され、 膨大な量のモノと情報のインフレーションにくらくらと眩暈。 陳列された沢山の商品。倉庫での大量虐殺が約束されたモノ。 メディアと企業が手を組んで、技術的に生み出される流行。 虐殺を免れるか否かは、多国籍企業の戦略に依存している。 ダーウィン的淘汰。資本主義が形成する「自然」のなかで。 流行としての価値。
流行としてのハイテンポな情報更新。
「つまり・・・モノの価値=時間を奪い取ることである」
『消費社会の神話と構造』ジャン・ボードリアール
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