グローバル経済下の戦争は、空間を超えている。
領土を越え、テロリズムとの戦いは世界中隅々にまで偏在している。
ヴェトナム戦争で泥沼に陥ったアメリカが苦肉の策で編み出した、
テクノロジーを駆使した「クリーン」な戦争。
いかにアメリカ軍の戦死者を最小限に抑え、敵の死体を最大限にするか。
結果、死の恐怖の反作用として生まれた、自爆テロ。
いままさに、いつでも、どこでも、だれにでも、起こりうる、死。
テロリズムという見えない「敵」との戦い。
それは戦争を日常に引きずり込む。
「敵」の不在=「敵」の偏在。
いつでも、どこでも、だれにでも、いままさに、死が起こりえるという可能性/恐怖。
恒常的な戦争状態を今あたしたちは、生きている。
『マルチチュード』でネグリ/ハードが言うように、
「隠喩としての戦争」が蔓延っている。
見えない敵との戦い。テロリズムとの戦いであると同時に、
「勝ち負け」に支配される、グローバル経済下の競争原理。
ゲームに勝つことができれば更なる富の蓄積があるはず。
その前提の下に、ゼロサムゲームが激しく繰り広げられる。
「見えない競争相手」に勝てば、富を享受できるはず。
結果、勝つ為に「頑張らなければ」いけないimperativeが社会野を覆い尽くす。
半ば永続化された競争と、恒常化された戦争は
有効需要の生産に裏打ちされ、軍需産業と国家の癒着に寄与する。
もうそろそろ、限界でしょう。死の欲動は飽和状態。
死ではなく、生の拡充を、あたしは願ってやみません。
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