『アメリカのデモクラシー』より。
平等は二つの道に通じる。
一つは人々を独立心旺盛にし、無政府へと向かわしめる道。
もう一つは、ゆっくりと知らず知らずのうちに隷属へと向かう道。
後者は形骸化された民主主義の名の下に進む、ファシズム。
「なぜ人々は自己の抑圧を愛するのだ?」ライヒの言葉。
権力への服従を、自ら望む人々。
自分で考えて動くより、何となく動かされるほうが、ラクなのかしら?
権力に?メディアに?世論に?
それとも、権力のテクノロジーが日常生活の隅々にまで浸透し、
「自ら思考すること」を放棄し、思考不可能な主体が形成された結果なのかしら。
「この生活が維持できるのなら、何が起ころうが私には関係ない」
ボーナスでフラットスクリーンテレビも買えたし。
このあいだの選挙では若手に一票入れたし。
地球温暖化に憂慮して、冷蔵庫も新しく買い換えたし。
新しく始まったドラマは面白くなってきて、職場仲間との会話も弾むし。
些細な悩みや葛藤はあるけれど、カラオケでストレス発散するから大丈夫。
そういえば、自衛隊を総括する組織が「省」になったらしいけれど、
「美しい国」になるためには、きっと必要不可欠な国家的手段なのだわ。
そんなことよりも、近頃学校に行きたがらない息子が心配だわ。
いじめを受けている様子はないけれど、主人に相談したほうがいいわね。
平穏な、いつもと変わらない日常をぐるぐると廻らせる為には、
「...何が起ころうが私には関係ない」
この生活が維持できている限りは。
地球が気候の危機に直面して、人類の存亡が絶望的な現状。
生活維持どころか生命維持さえも、難しい。
そんな中、思考放棄している場合じゃ、ないんじゃないの?
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