辻潤的スチルネルエゴはまるで、アルルの燦々と輝く太陽の下で描いたゴッホの絵にどしゃ降りのつめたい雨が降ったかのよう。あざやかな色彩は歪みやがて溶け、涙の波に攪拌され決壊し、限界破裂寸前故に流動的な、アイデンティティと呼ぼうには余りにも胡乱な状態だから故、男根主義的近代社会で形成されざるを得なかったあたしの括弧つきフロイド的自我は翻弄され続けているけども、確固たる自我なんて存在しようがなくて、あたしにだけ囁いてくれる括弧付きの甘い言葉を執拗に耳元で反復しながら昨夜あなたはあたしをどこまでもしつこく愛してくれたけど、眼が覚めたあたしが白く発光する朝の光のなかであなたの何を思い出すかといったら、あなたが昨夜口移しで食べさせてくれたあのドライフィグのねっとりとした蟲惑的な甘さだけで、でもしっかりとめくるめく感覚の記憶はあたしの身体に刻印されたままだしフィグのグロテスクな断面は網膜の裏にしっかりと焼きついていて真新しい朝のなかイメージは記憶として白々しく光るシーツに投影されるけれど、
目覚めたあたしのそばにあなたは、いない。
1 件のコメント:
いつも楽しく拝見させて頂いております。
コメントを投稿