2007年12月20日木曜日

嗚呼哀しき感情労働者

今日も時間に換算された賃金を頂いて、かろうじて生存に必要なだけの商品を購入し、サラリー女的生活を営み、毎日生きております。そして明日の労働の為に今日も、資本そして組織が求め、労働時間という抽象的な単位に区切られ、平均化されそして不当に搾取され続けているあたしの、労働力商品という身体的・精神的諸力の質をさらに「スキルアップ」し、明日もまた効率よくあたしの労働力が商品として売買可能なモノにさせるべく、労働力の再生産作業を労働時間外で行い、日々サラリー女的ライフを行っている次第でございます。

労働力商品としてのあたしの労働力―身体的乃至精神的キャパシティ―。

あたしは20世紀中盤から飛躍的に伸びた、第三次産業―いわゆるサービス業に従事しております。
何石米を生産したか、または何個車を製作したか、という物質的な商品の生産のみならず、「サービス」という付加価値が販売するモノについて廻る。いわばサービス業は全般的に、いかに物質的な商品に、自らの情動、知性、そしてコミュニケーションといった感情労働という付加価値を付随させ、さらなる商品の販売=生産を可能にさせるか、という問いに尽きるのであろう。

たとえばサービスの前線/front lineで。商品の売買過程において、お客様とコミュニケーションを取り、気持ちよくそれらの商品を買っていただくことによって、お客様の満足を生むことになる。満足したお客様は同じサービスへの反復的・盲目的な購買活動を将来的に継続する傾向が強く、潤滑な情動の交換はよりよい商品の購入行為を結果的に齎すこととなる。故にさらなる組織の利益と資本の蓄積。

自己欺瞞。

資本の利潤なんてくそくらえ。あたしは組織が求める利益やさらなる資本の蓄積や自分のサラリー女的身分なんてどうでもよくて、ただ(それが仮に商品売買という過程のなかであっても)出会ってしまった人々には、真摯に向き合いたいだけ。結果的にそれが組織の利益につながっていってしまうだけ。

感情労働。資本主義社会のなかで、人と人のあらたなコミュニケーションを生産する1つの契機を作り出す労働形態かもしれないけれど、それさえも資本の力に回収されていくのを目の当たりにする。

哀しき感情労働サラリー女は今日も戦略を、練る。

資本の力に拮抗し得る情動の交換=交感を、日常の労働現場で生産し、あらたなコミュニケーションのウェッブを繰り広げよ→自分へのマニフェスト

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