前近代的な因習が色濃く残る地方都市の中小企業で、他者である外国人を相手にビジネスを展開させていかなければいけない、今日この頃。下手に英語ができたばかりに、全く興味が無く展望も薄いアウェイなフィールドで、利益産みマシーンの部品として組み込まれ回収され、搾取され続ける今日この頃。
「石版を持って来い」という日本語が通じない相手は、ウイトゲンシュタイン的に云えば他者である。言語という共通のコードを持たない者とのコミニュケーションを通じての、「売る-買う」という交換関係の最前線にさらされております。
どうして資本主義に飼いならされた人間は組織及び国家の利益の為に身を粉にし利潤を高める努力を重ね、全く自分とは無関係な無関係なエリアでただ資本の蓄積へ向けた剰余価値の生産に向けて、自己犠牲を重ねることができるのであろう。
外国人よりも他者なのは、全く疑問を持つことなく組織の発展及び資本の蓄積の為、自らの労働力を不当に換算された価格で販売し、自らの労働力の再生産を不当に搾取された賃金形態である自らの収入でまかない、不当に搾取された労働で生産された諸生産物を購入し明日の労働に耐えうる身体及び精神的諸能力をメインテインする従順な労働者である。そんな「奴ら」がマジョリティで成り立つ中で、ましてや「石版をもってこい」と言っても通じない他者の中で日々労働すること自体が、あたしにとってアウェイのアウェイで戦っているみたいなもの、なのですよ。
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