2008年11月2日日曜日

労働と内省、からの逃走

忙しいと書いて心を失うと読む。
記憶が確かであれば「忙」の漢字の左側って、こころを意味する部位だった気が、するの。

前日の疲労が沈殿する砂袋のように重たい身体を無理やりベッドから引き剥がして今日もおはようございます。睡眠から未だ再起動中の頭を働かせ、シャワーを浴びコーヒーを淹れて、簡単な朝食と共に朝刊にざっと眼を通す。ビジネス服に身を固め顔を作り(市場が要求する、社会人という労働者に必要不可欠な仮のアイデンティティを人為的に作り出す儀式)、今日も元気な振りをして、仕事へ行ってまいります。まだ眠たげな朝の風を頬に感じ、公共交通機関に揺られ、大量生産された社会人という労働者がひしめく朝のラッシュアワーに揉まれ、人ごみを掻き分け仕事場にたどり着く。
仕事はまだ始まっていないのに、こんなにも既に労働してしまっているよ、

そうして今日も時間に区切られた、特異であるとともに平均的である労働の一日が始まる。
‥そして終わる。明日の労働が始まる為に、今日の労働は終わらなければならないのだ。

今日も労働が終わりましたよお疲れ様、と同僚と繰り出すハッピーアワー。バーは同じように今日の労働を終えた紳士淑女労働者でひしめき合っています。その喧騒の中で同僚と、ピッチャーのビールを分かち合いながらボスの愚痴や新しいプロジェクトの話題で盛り上がるかもしれません。

‥ビールの泡にまで、終わったはずの今日の労働が入ってきています。

同僚と打ち解けた時間を共有し、労働の緊張から解放され明日への活力が沸いてきたような気分です。帰りの電車の中でふと、ipodに入った英会話の教材を思い出しました。通勤時間の僅かな時間でも継続は力じゃ、と決心したが結局続けられなかった勉強。そういえばボスに英語のプレゼンがあると示唆されているし。スキルアップを目指すべく決心したのにこれじゃいかんと、反省しながら耳から流れる滑らかな発音に集中してみたり。

‥ヘッドフォンから、終わったはずの今日の労働が入ってきていますよ。

電車を降り、駅から出ると徒歩10分程度でアパートに着く。シャッターが下ろされた暗い商店街のなか白々と発光するコンビニは否が応でも眼につく。特に必要なものは無いのだが、習慣のように自動ドアをくぐり、ざっと雑誌の棚に眼を運ぶ。本日発売のポップが掲げられた週刊誌の表紙に赤で染め抜きされた、取引先会社役員のスキャンダル。半ば脊髄反射のようにその雑誌を手に取り、レジへ向かう。昼過ぎにやってきたその取引先の、気の弱そうな営業担当の顔を思い出す。噂には囁かれていたがここまでパブリックになると、今後のビジネスに影響しかねないなあ、などとぼんやりと考える。

‥凡庸なコンビニにさえ、終わったはずの今日の労働が待ち構えています。

レジの列はなかなか進まない。シフトの関係だろうか、ひとりしかいない店員と、毛沢東のような体型をしたおばちゃんが商品のクーポンのことでもめている。前に並んだ二人の客-てかてかに光った中途半端な長さの髪の中年男と、ジャージを着用した眉毛のない女-はうんざりした表情でおのおのの手のひらにある携帯電話と通信中。溜息をつきたい気分でレジの側の陳列棚に眼を向けると、目にしたことのないパッケージの商品が、しつけが行き届いた鶏のように整然と並んでいた。毛沢東おばちゃんは次第に声を荒げ、店員に食って掛かる。店員はひるむ。どうでもよいから早くして、と思いながら棚に並べられたチョコレート-『ストレス社会を生きるあなたに』と緑の文字で書いてある-を手に取る。どうやらストレスを緩和する作用がある物質が入っているチョコレートらしい。ストレス。ストレス無しに仕事なんて成立しないんじゃないかしらん。仕事の構成要素は実はストレスが92%なんじゃない?そんなことを考えていたら今日のボスの嫌味や後輩の露骨な敵意を思い出して、胃のあたりがむかむかしてきた。ああ、明日も奴らと顔をあわせなければならないのか。至極ニュートラルに響く、おはようございます、の発声練習でもしておかなければ。

‥凡庸なコンビニ商品にさえ、終わったはずの今日の労働が纏わりつく、
んだってば。

アパートのエントランスを入って丁度10歩左手、エレベーターで3階に進む。エレベーターから出て右手13歩左手の扉に鍵を差し込む。玄関で靴を乱暴に脱ぎ捨てジャケットのボタンを外しながら、バスルームに直行する。勢いよくお湯を出し浴槽にお湯を溜めながら、シャツとストッキングを脱ぎ捨てる。ふんだんにお湯がほとばしるごうごうという音を聞きながら、毎日の習慣である半身浴読書に適した本をベッドルームにとりに行く。本棚にざっと目をやり、適当に思える一冊をピックアップし、湯気がもうもうと立ち込めるバスルームへ向かう。髪を束ね、下着を外し、いまだごうごうとお湯がほとばしる浴槽にグレープフルーツの精油を幾滴か、たらす。温かいお湯に身を沈め、厚ぼったいタオルでくるまれた『入門 マクロ経済学』を注意深く、濡れないように開く。大学時代の卒論に必要だったある種のリファレンスとしてしか読んでいなかったので、いつか読み返そうと思っていた本。グレープフルーツの香りはあくまでもすがすがしく、鼻腔に張り付いてかぐわしい。
-私、女だから数字に弱いんです。
それなりに可愛いが、それなりに頭の悪い後輩がボスに自分のミスを指摘されて放った言葉だった。濃いマスカラで彩られた、天に向かって力強く直角にカールする後輩の睫毛がぱたぱたする。ボスは苦笑い。都合良く頭悪く、湾曲されたジェンダーイメージを仕事に持ち込んで他人と自分に甘えているだけだ。同席していたが故に発言を耳にしてしまったが、まるで明治時代に生きているかのような錯覚に陥った。女というカーストが存在するのか?かつてのように。
でもね、その錯覚って、珍しいことじゃなくってね、しばしば訪れるの。労働の毎日のなかで、メディアや世論や一応偉いとされている政治家の発言や、同僚や上司や知り合いの発言に、どうしょうもないような違和感を感じることがよくあるの。別にミリタントなフェミニストではないけれど、違和感を感じること自体が共同体のなかで違和そのものになり排他されるような、無言のプレッシャーを感じるが故に、表向きの沈黙を保つ。

‥嗚呼かぐわしいグレープフルーツの空間が、終わったはずの今日の労働に汚されてゆくよ。

もうもうと立ちこめる湯気の中で、『入門 マクロ経済学』の表紙は湿気を吸ってふにゃふにゃになりつつある。 真っ白な靄の中、文字は霞み、ページ数は確認不可能。

暖められた空気の中、グレープフルーツはやさしく狂おしく立ち込めて、
くっきりとはっきりとあたしの細胞に染みこんでいた、とさ。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

以前コメントした者です。
マンキューのマクロ経済学ですか?
以前古書屋で衝動買いして、買って満足してしまった記憶があります。
今では実家の本棚で埃を被っています。。。
久しぶりに読みたくなりました。

noe さんのコメント...

コメントありがとうございます。
買って満足して、本棚の背表紙に並ぶ色彩にうっとりしてそのまま、っていう本、ありますよね(苦笑)。マクロ経済学には明るくないあたしですが、タカシさんがマンキュー氏をお勧めするなら是非読みたいと思います。

匿名 さんのコメント...

そうなんです。
結構私にとって本はフェティッシュな対象です。マンキュー氏をお勧めできるほど読んでないのですが、読んで感想を交換できたら嬉しいです。