地球といのちの存亡をかけて、真のデモクラシーへの道は開かれつつある。本稿で私は、1990年代に世界中で起こったグローバルな抗議運動に焦点を当て、真のデモクラティック・プラキサスを検証する。反グローバリゼーション運動や、social justice movement、さらには民主主義支持運動と呼ばれる大きな流れは、激化する環境破壊や、終わりなき戦争、南北間の不平等発展や東西の対立を生み出しているグローバルに統合された(経済)システムに対する、民衆の大規模な異議申し立てであった。とりわけ重要なのは、1999年秋のシアトルでの、WTO官僚会議での抗議運動である。雑多な目的を持つ多様なグループが、真のデモクラシーへの共通な欲望のもと集結し、大規模な抗議活動を可能にした。この場において権力は中央集権化されることなく、力は人々に平面的に分散され、多種多様な目的を持つグループの異質性と単独性を保たれたまま、他のグループとの連結が可能になった。真のデモクラシーの実現に必要不可欠なこれらの要素を深化させ、シアトルでの運動でひときわ光彩を放つ、スターホークという環境活動家に焦点を当て、本稿はいのちの存亡をかけた、地球とのあらたな関係性の構築を提示する。
1.民主主義支持運動とはなにか
A.ナオミ・クレインが言うところの"pro-democratic movement":define
B.1999, Seattle; the shut down of WTO meeting
C.the role of affinity groups:
→環境活動家スターホークの役割
2.スターホークとは誰か
A.歴史と背景
B.地球=生命
C.自然性=女性
3.環境危機とデモクラシー
A.デモクラシーとは、なにか
B.自然、マルティチュード、人々の力
C.革命的契機としての環境危機
2007年7月29日日曜日
2007年5月17日木曜日
ひたひたと、深く
考えたい。知性が研ぎ澄まされて、思考がどこまでも深くなっていき、感覚の地平がどんどん広がっていく時間。ニューロンの過剰発火は脳に心地よいスリル。
おそらくあたしは、知的エクスタシー中毒。
考えることはあたしにとって、呼吸すると同じこと。日常生活の煩雑で凡庸な出来事の反復に支配されてしまうと、どうしても思考が浅くなる。呼吸が浅くなる。知覚できることのレンジもどんどん狭くなる。だからふと立ち止まって、深呼吸をすることが必要。注意深く世界を感じて、ひたひたと押し寄せてくる思考の深みにはまる。フランス語でいうところのアタンションかしら。
あたしを「あるべき労働者/消費者」の鋳型にはめ込もうとする見えない権力の力は、職場や因習的な人間関係のしがらみやメディアや商品を通じて日常生活に容赦なく入り込んでくる。資本の力に流されちゃいそうになる瞬間、あたしは立ち止まって考える。
深呼吸。内なる声に耳を澄まし、内なる力を喚起させるために。
そしてあたしに立ち戻る。
深く考えること。それは現体制に対する疑問と危機感を持つことにとって必要なことである。
なぜなら日常生活こそ社会変革の実践の場であり、革命へのバトルフィールドであるからだ。
おそらくあたしは、知的エクスタシー中毒。
考えることはあたしにとって、呼吸すると同じこと。日常生活の煩雑で凡庸な出来事の反復に支配されてしまうと、どうしても思考が浅くなる。呼吸が浅くなる。知覚できることのレンジもどんどん狭くなる。だからふと立ち止まって、深呼吸をすることが必要。注意深く世界を感じて、ひたひたと押し寄せてくる思考の深みにはまる。フランス語でいうところのアタンションかしら。
あたしを「あるべき労働者/消費者」の鋳型にはめ込もうとする見えない権力の力は、職場や因習的な人間関係のしがらみやメディアや商品を通じて日常生活に容赦なく入り込んでくる。資本の力に流されちゃいそうになる瞬間、あたしは立ち止まって考える。
深呼吸。内なる声に耳を澄まし、内なる力を喚起させるために。
そしてあたしに立ち戻る。
深く考えること。それは現体制に対する疑問と危機感を持つことにとって必要なことである。
なぜなら日常生活こそ社会変革の実践の場であり、革命へのバトルフィールドであるからだ。
2007年4月20日金曜日
おもてなしの科学
質の高いおもてなしを実現できれば、お客様はまた来てくださるのではないかしら?
という淡い期待に一石を投じる実験結果を発見したので、ご報告させていただきます。
コーネル大学ホテルスクール、ジュディ・シガーウ博士による実験は、顧客満足度とリピーター率に科学的な因果関係がないことが明らかにしました。顧客満足度(以下CS)が高ければ高いほど、お客様の価格に対する感覚は麻痺し客単価アップにつながることは明白な事実です。さらにCSの高さととお客様ご自身によるポジティヴな「口コミ効果」は連動している故、新しいお客様の獲得にも貢献します。しかしながら、いくらお客様がホテルのハード・ソフト面で満足していただいたとしても、そのお客様が将来継続的に同じホテルをご利用なさるとは限らないことが科学的に立証されました。
またお客様にお越しいただけるような、おもてなしの方法はあるのでしょうか?
シガーウ博士はリピーター率の高さとお客様の「ロイヤリティ」がもたらす収益性について言及しています。ロイヤリティとは「ある商品やサービスを将来継続的にひいきにし、そして再購入することに深く献身し、他商品やサービスへの移行を促す状況的な影響やマーケティング活動とは関係なくもたらされる、同じブランドへの反復的な購買行動」と定義されています。故にロイヤリティが高ければ高いほど、同じ商品・サービスを継続的に購入するという行動と直結し、お客様にまたお越しいただくことにつながります。
ロイヤリティを高める決定的要素は何か?シガーウ博士は「お客様とスタッフのかかわりあい」であると言及し、さらに最もロイヤリティが高まるのは、「こころのかかわりあい:ego involvement」であると断言しています。 「またこのホテルに来たい」。そうお客様に思っていただけるようなおもてなしを実現させるための、ロイヤリティを高める接客の科学的な事実を博士は提案しています。
年配のお客様は承認願望=自分が何者であるかを覚えてほしいという欲求が強い(特に男性)。故に可能な限り「いらっしゃいませ、~様」と名前で呼び、時と場合に応じて社会的ポジション(役職)などで呼ぶことによって、お客様のエゴを満たし、リピーター獲得につながる。
年配の女性のお客様はリスクを軽減したい傾向が強い。故にお客様のリスクを最小限に抑える為の情報提供が鍵である(例えば空港バスに乗る年配のお客様に、到着後の乗り換え便の場所や、到着後の乗り継ぎ場所までの行きかたをさりげなくお知らせしながら、停留所までご案内する)。
女性のお客様は「自意識」を満たしてくれるサービスを好む。故に、 装飾品やお召し物に関する話題がコミュニケーションを円滑にする傾向が強い
ビジネス客は様々な客層のなかで最もロイヤリティの潜在性が低く、他ホテルに移行する確率が最も高い。忙しく働く彼ら・彼女らが求めているのは丁寧かつスピーディな対応である。
僭越ながら、ご紹介させていただきました。
出典:コーネル大学ホテル・レストラン経営学季刊誌(Aug 2004)
http://www.hotelschool.cornell.edu/research/chr/pubs/quarterly/featured/execsummary.html?name=aug04siguawskogland.pdf
”Are your satisfied customers Loyal?" by Iselin Skogland and Judy A. Siguaw
という淡い期待に一石を投じる実験結果を発見したので、ご報告させていただきます。
コーネル大学ホテルスクール、ジュディ・シガーウ博士による実験は、顧客満足度とリピーター率に科学的な因果関係がないことが明らかにしました。顧客満足度(以下CS)が高ければ高いほど、お客様の価格に対する感覚は麻痺し客単価アップにつながることは明白な事実です。さらにCSの高さととお客様ご自身によるポジティヴな「口コミ効果」は連動している故、新しいお客様の獲得にも貢献します。しかしながら、いくらお客様がホテルのハード・ソフト面で満足していただいたとしても、そのお客様が将来継続的に同じホテルをご利用なさるとは限らないことが科学的に立証されました。
またお客様にお越しいただけるような、おもてなしの方法はあるのでしょうか?
シガーウ博士はリピーター率の高さとお客様の「ロイヤリティ」がもたらす収益性について言及しています。ロイヤリティとは「ある商品やサービスを将来継続的にひいきにし、そして再購入することに深く献身し、他商品やサービスへの移行を促す状況的な影響やマーケティング活動とは関係なくもたらされる、同じブランドへの反復的な購買行動」と定義されています。故にロイヤリティが高ければ高いほど、同じ商品・サービスを継続的に購入するという行動と直結し、お客様にまたお越しいただくことにつながります。
ロイヤリティを高める決定的要素は何か?シガーウ博士は「お客様とスタッフのかかわりあい」であると言及し、さらに最もロイヤリティが高まるのは、「こころのかかわりあい:ego involvement」であると断言しています。 「またこのホテルに来たい」。そうお客様に思っていただけるようなおもてなしを実現させるための、ロイヤリティを高める接客の科学的な事実を博士は提案しています。
年配のお客様は承認願望=自分が何者であるかを覚えてほしいという欲求が強い(特に男性)。故に可能な限り「いらっしゃいませ、~様」と名前で呼び、時と場合に応じて社会的ポジション(役職)などで呼ぶことによって、お客様のエゴを満たし、リピーター獲得につながる。
年配の女性のお客様はリスクを軽減したい傾向が強い。故にお客様のリスクを最小限に抑える為の情報提供が鍵である(例えば空港バスに乗る年配のお客様に、到着後の乗り換え便の場所や、到着後の乗り継ぎ場所までの行きかたをさりげなくお知らせしながら、停留所までご案内する)。
女性のお客様は「自意識」を満たしてくれるサービスを好む。故に、 装飾品やお召し物に関する話題がコミュニケーションを円滑にする傾向が強い
ビジネス客は様々な客層のなかで最もロイヤリティの潜在性が低く、他ホテルに移行する確率が最も高い。忙しく働く彼ら・彼女らが求めているのは丁寧かつスピーディな対応である。
僭越ながら、ご紹介させていただきました。
出典:コーネル大学ホテル・レストラン経営学季刊誌(Aug 2004)
http://www.hotelschool.cornell.edu/research/chr/pubs/quarterly/featured/execsummary.html?name=aug04siguawskogland.pdf
”Are your satisfied customers Loyal?" by Iselin Skogland and Judy A. Siguaw
2007年4月12日木曜日
遅ればせながら『不都合な真実』
教科書のように解りやすく、地球温暖化を理解できる素敵な映画でした。
資源の略奪で戦争が起こることは自明の事実。
地球温暖化による水の枯渇の利権争いで戦争が絶えないこともまた事実。
あたしが自動車免許を取らずに自転車とバスを活用するのは、
実は地球温暖化対策なのよ、というエクスキューズが出来た。
高度に成長した資本主義社会の中で、テクノロジーに頼らずに生活をするのは、無理。
だからこそ、できるだけ環境に配慮した車や冷蔵庫に買い換え、地球温暖化対策をしよう。
自転車にのって、マイ買い物バッグ持って、ウォーム/クールビズでエコライフしよう。
なぜなら一人一人の心がけで、地球の環境は良くなるんだ。
余りにもナイーヴに聞こえるが、すがらざるをえない、選択肢。
所詮人間一人一人のCO2排出量なんて、マクロなレヴェルでは微々たる物。
メジャーな環境破壊エージェントは、自然を搾取=利用し利潤を得る大企業でしょう。
さらなる資本の蓄積へとドライブをかける国家と、企業の肥大した欲望こそが、
地球環境をめちゃめちゃにした主人公でしょう。
権力は、その真実を隠蔽し、否認し、資本のロジックを強化するためにどんな手でも尽くす。
それを知っているが故にゴア氏は、ボトムアップの地球温暖化対策を訴えるのかもね。
資源の略奪で戦争が起こることは自明の事実。
地球温暖化による水の枯渇の利権争いで戦争が絶えないこともまた事実。
あたしが自動車免許を取らずに自転車とバスを活用するのは、
実は地球温暖化対策なのよ、というエクスキューズが出来た。
高度に成長した資本主義社会の中で、テクノロジーに頼らずに生活をするのは、無理。
だからこそ、できるだけ環境に配慮した車や冷蔵庫に買い換え、地球温暖化対策をしよう。
自転車にのって、マイ買い物バッグ持って、ウォーム/クールビズでエコライフしよう。
なぜなら一人一人の心がけで、地球の環境は良くなるんだ。
余りにもナイーヴに聞こえるが、すがらざるをえない、選択肢。
所詮人間一人一人のCO2排出量なんて、マクロなレヴェルでは微々たる物。
メジャーな環境破壊エージェントは、自然を搾取=利用し利潤を得る大企業でしょう。
さらなる資本の蓄積へとドライブをかける国家と、企業の肥大した欲望こそが、
地球環境をめちゃめちゃにした主人公でしょう。
権力は、その真実を隠蔽し、否認し、資本のロジックを強化するためにどんな手でも尽くす。
それを知っているが故にゴア氏は、ボトムアップの地球温暖化対策を訴えるのかもね。
2007年2月12日月曜日
home is where heart is
というBlazeの曲が大好きで、クラブでかかるとあたしは熱狂してしまう。
home is where heart is...there is no place I'd rather be...
透明な歌声と繊細なピアノのメロディ、そして内臓に響く重いリズム。
何といっても、詩が最高。
「帰ることの出来る場所=home」は、「いつでも帰ることができる」安心の空間。
こころが在るところに、お家があります。建築物としての目に見えるお家ではなく。
あたしが出会った大切な人たちは、あたしのこころの中に住んでいる。
もう二度と会うことがないかもしれないけれど、
いつか、どこかで、ひょんなきっかけでまたばったり巡り合うかもしれない。
もしかすると、そのときまで、左様なら。
そのときは、まるで昨日会ったばかりかのように、笑いながら語りつくしましょ。
home is where heart is...there is no place I'd rather be...
透明な歌声と繊細なピアノのメロディ、そして内臓に響く重いリズム。
何といっても、詩が最高。
「帰ることの出来る場所=home」は、「いつでも帰ることができる」安心の空間。
こころが在るところに、お家があります。建築物としての目に見えるお家ではなく。
あたしが出会った大切な人たちは、あたしのこころの中に住んでいる。
もう二度と会うことがないかもしれないけれど、
いつか、どこかで、ひょんなきっかけでまたばったり巡り合うかもしれない。
もしかすると、そのときまで、左様なら。
そのときは、まるで昨日会ったばかりかのように、笑いながら語りつくしましょ。
トクヴィル
『アメリカのデモクラシー』より。
平等は二つの道に通じる。
一つは人々を独立心旺盛にし、無政府へと向かわしめる道。
もう一つは、ゆっくりと知らず知らずのうちに隷属へと向かう道。
後者は形骸化された民主主義の名の下に進む、ファシズム。
「なぜ人々は自己の抑圧を愛するのだ?」ライヒの言葉。
権力への服従を、自ら望む人々。
自分で考えて動くより、何となく動かされるほうが、ラクなのかしら?
権力に?メディアに?世論に?
それとも、権力のテクノロジーが日常生活の隅々にまで浸透し、
「自ら思考すること」を放棄し、思考不可能な主体が形成された結果なのかしら。
「この生活が維持できるのなら、何が起ころうが私には関係ない」
ボーナスでフラットスクリーンテレビも買えたし。
このあいだの選挙では若手に一票入れたし。
地球温暖化に憂慮して、冷蔵庫も新しく買い換えたし。
新しく始まったドラマは面白くなってきて、職場仲間との会話も弾むし。
些細な悩みや葛藤はあるけれど、カラオケでストレス発散するから大丈夫。
そういえば、自衛隊を総括する組織が「省」になったらしいけれど、
「美しい国」になるためには、きっと必要不可欠な国家的手段なのだわ。
そんなことよりも、近頃学校に行きたがらない息子が心配だわ。
いじめを受けている様子はないけれど、主人に相談したほうがいいわね。
平穏な、いつもと変わらない日常をぐるぐると廻らせる為には、
「...何が起ころうが私には関係ない」
この生活が維持できている限りは。
地球が気候の危機に直面して、人類の存亡が絶望的な現状。
生活維持どころか生命維持さえも、難しい。
そんな中、思考放棄している場合じゃ、ないんじゃないの?
平等は二つの道に通じる。
一つは人々を独立心旺盛にし、無政府へと向かわしめる道。
もう一つは、ゆっくりと知らず知らずのうちに隷属へと向かう道。
後者は形骸化された民主主義の名の下に進む、ファシズム。
「なぜ人々は自己の抑圧を愛するのだ?」ライヒの言葉。
権力への服従を、自ら望む人々。
自分で考えて動くより、何となく動かされるほうが、ラクなのかしら?
権力に?メディアに?世論に?
それとも、権力のテクノロジーが日常生活の隅々にまで浸透し、
「自ら思考すること」を放棄し、思考不可能な主体が形成された結果なのかしら。
「この生活が維持できるのなら、何が起ころうが私には関係ない」
ボーナスでフラットスクリーンテレビも買えたし。
このあいだの選挙では若手に一票入れたし。
地球温暖化に憂慮して、冷蔵庫も新しく買い換えたし。
新しく始まったドラマは面白くなってきて、職場仲間との会話も弾むし。
些細な悩みや葛藤はあるけれど、カラオケでストレス発散するから大丈夫。
そういえば、自衛隊を総括する組織が「省」になったらしいけれど、
「美しい国」になるためには、きっと必要不可欠な国家的手段なのだわ。
そんなことよりも、近頃学校に行きたがらない息子が心配だわ。
いじめを受けている様子はないけれど、主人に相談したほうがいいわね。
平穏な、いつもと変わらない日常をぐるぐると廻らせる為には、
「...何が起ころうが私には関係ない」
この生活が維持できている限りは。
地球が気候の危機に直面して、人類の存亡が絶望的な現状。
生活維持どころか生命維持さえも、難しい。
そんな中、思考放棄している場合じゃ、ないんじゃないの?
2007年2月9日金曜日
days of war/nights of love
「量」が「質」の変容をもたらす。
社会的に主流な労働形態が社会的に主流な超自我を形成する。
たとえば、工場労働者。
時間に区切られた機械的労働は、労働者の日常生活を機械的に区切り、
労働者に「時間」の概念を植え付けた。
チャップリンの『モダンタイムス』に描かれているように、「労働時間」内は、いかなるサボりも許されない-ベルトコンベアラインを離れ、トイレで一服点けるチャップリンを、壁一面に巨大に映し出された「資本家」が怒鳴りつける。「労働時間内」は工場という巨大な機械の「生産性と能率性」を高めることが余儀なくされ、常に監視されている。
たとえば、現代における非物質的労働者。
情動、コミュニケーション、サービス、知識など、物質的な生産とともに、非物質的な労働が伴う、現代における主流な労働形態。グローバル経済化によって要請される、移民、非正規労働者、派遣、(所謂)フリーターなどの、フレキシブルな労働者にとって、時間や空間的拘束(労働時間や労働する場所-たとえば工場)は必要とされてはいない。
必要とされているのは、フレキシビリティとクオリティ。いかに、柔軟的に日々刻々と変わる労働形態に対応できるか、そしていかに質の高いサービス、情動、コミュニケーション、知識を商品として提供できるか。言葉を変えれば、いかに自己をフレキシブルな、質の高い労働力商品として市場に投入するか、ということである。
自己をいかに質の高い労働力商品として売るか。買い手の要望はさまざまである。多様であるが故、労働力商品市場の競争を勝ち抜く為には、情動やコミュニケーション、知識という自己のメンタルキャパシティのスキルアップを高めることが、肝心である。ここで労働時間は曖昧になってくる。なぜなら労働者は、自己を労働力商品とさせるために、非物質的労働の質を高める為の再生産作業を行わなければならないからである。そしてここで、「資本家」の「監視の目」は、労働者自身に内面化される。労働時間外であろうとも、非物質的労働に従事するが故、自己を常にスキルアップさせていかなければならない。単調な機械労働ではなく、情動、コミュニケーション、サービス、知識の質の高さが要求される労働条件ゆえに、労働時間外である、本来労働者にとって自由な時間さえも、非物質的労働の再生産作業に費やされる。
と、枕が長くなってしまった。
ポイントは、現代において非物質的労働が主流であるがゆえ、労働現場を離れた場所で、労働力の再生産を行っているつもりでも、いつのまにか「労働」が入ってくる。頭を使う労働、非物質的労働は知識やコミュニケーション、人の情動と深く関わっているが故に、労働時間の境目が曖昧になり、労働力の再生産作業さえも、労働の一環として組み込まれるようになった。
crimethinkのdays of war/nights of loveは、所謂「商業化された愛: commercialized love」を痛切に批判している。"Love as a subversive force to demolish the established order"
反抗に加担せよ:恋に落ちよ。恋に落ちるということは、今日における退屈で、社会的に拘束され文化的に窮屈な、人間的に無意味な世界において、究極の革命的行為である。...この意味において愛は破壊的だ、なぜならそれは我々の近代的生活における確立された秩序に脅威をもたらすからである。一日の労働の生産性や社会化されたエチケットという退屈な儀式は、そこに惰性や慣習よりももっと重要な力が彼を突き動かすが故に、恋に落ちた人間にとっては意味を成さない。...愛は、我々の政治システムに脅威をもたらす...我々の社会自体に脅威をもたらす。情熱的な愛はブルジョワジーに無視され、そして恐れられる。なぜならそれは彼らが切望する見せかけの安定にとって大きな脅威となるからだ。愛はどんな嘘も、欺瞞も、洗練された半端な真実さえも認めずに、ありのままの感情に訴えかける。...ほんとうの愛は無責任で、抑制不能で、反体制的で、臆病さを冷笑する。
(翻訳は筆者による。原典以下)
http://www.crimethinc.com/library/english/join.html
労働力の再生産作業の領域まで日々の労働が纏わりついてくる、非物質的労働が社会的に主流であるという現状を問いただし、そこに亀裂を走らせる具体的な戦術を日々「いま・ここ」で、実践していくのが、大切。
恋に落ちるということは革命的契機であり、愛は、資本主義体制の内側から亀裂を走らせる為に必要不可欠な逃走線を刻印する、肯定的な生の力そのものである。
社会的に主流な労働形態が社会的に主流な超自我を形成する。
たとえば、工場労働者。
時間に区切られた機械的労働は、労働者の日常生活を機械的に区切り、
労働者に「時間」の概念を植え付けた。
チャップリンの『モダンタイムス』に描かれているように、「労働時間」内は、いかなるサボりも許されない-ベルトコンベアラインを離れ、トイレで一服点けるチャップリンを、壁一面に巨大に映し出された「資本家」が怒鳴りつける。「労働時間内」は工場という巨大な機械の「生産性と能率性」を高めることが余儀なくされ、常に監視されている。
たとえば、現代における非物質的労働者。
情動、コミュニケーション、サービス、知識など、物質的な生産とともに、非物質的な労働が伴う、現代における主流な労働形態。グローバル経済化によって要請される、移民、非正規労働者、派遣、(所謂)フリーターなどの、フレキシブルな労働者にとって、時間や空間的拘束(労働時間や労働する場所-たとえば工場)は必要とされてはいない。
必要とされているのは、フレキシビリティとクオリティ。いかに、柔軟的に日々刻々と変わる労働形態に対応できるか、そしていかに質の高いサービス、情動、コミュニケーション、知識を商品として提供できるか。言葉を変えれば、いかに自己をフレキシブルな、質の高い労働力商品として市場に投入するか、ということである。
自己をいかに質の高い労働力商品として売るか。買い手の要望はさまざまである。多様であるが故、労働力商品市場の競争を勝ち抜く為には、情動やコミュニケーション、知識という自己のメンタルキャパシティのスキルアップを高めることが、肝心である。ここで労働時間は曖昧になってくる。なぜなら労働者は、自己を労働力商品とさせるために、非物質的労働の質を高める為の再生産作業を行わなければならないからである。そしてここで、「資本家」の「監視の目」は、労働者自身に内面化される。労働時間外であろうとも、非物質的労働に従事するが故、自己を常にスキルアップさせていかなければならない。単調な機械労働ではなく、情動、コミュニケーション、サービス、知識の質の高さが要求される労働条件ゆえに、労働時間外である、本来労働者にとって自由な時間さえも、非物質的労働の再生産作業に費やされる。
と、枕が長くなってしまった。
ポイントは、現代において非物質的労働が主流であるがゆえ、労働現場を離れた場所で、労働力の再生産を行っているつもりでも、いつのまにか「労働」が入ってくる。頭を使う労働、非物質的労働は知識やコミュニケーション、人の情動と深く関わっているが故に、労働時間の境目が曖昧になり、労働力の再生産作業さえも、労働の一環として組み込まれるようになった。
crimethinkのdays of war/nights of loveは、所謂「商業化された愛: commercialized love」を痛切に批判している。"Love as a subversive force to demolish the established order"
反抗に加担せよ:恋に落ちよ。恋に落ちるということは、今日における退屈で、社会的に拘束され文化的に窮屈な、人間的に無意味な世界において、究極の革命的行為である。...この意味において愛は破壊的だ、なぜならそれは我々の近代的生活における確立された秩序に脅威をもたらすからである。一日の労働の生産性や社会化されたエチケットという退屈な儀式は、そこに惰性や慣習よりももっと重要な力が彼を突き動かすが故に、恋に落ちた人間にとっては意味を成さない。...愛は、我々の政治システムに脅威をもたらす...我々の社会自体に脅威をもたらす。情熱的な愛はブルジョワジーに無視され、そして恐れられる。なぜならそれは彼らが切望する見せかけの安定にとって大きな脅威となるからだ。愛はどんな嘘も、欺瞞も、洗練された半端な真実さえも認めずに、ありのままの感情に訴えかける。...ほんとうの愛は無責任で、抑制不能で、反体制的で、臆病さを冷笑する。
(翻訳は筆者による。原典以下)
http://www.crimethinc.com/library/english/join.html
労働力の再生産作業の領域まで日々の労働が纏わりついてくる、非物質的労働が社会的に主流であるという現状を問いただし、そこに亀裂を走らせる具体的な戦術を日々「いま・ここ」で、実践していくのが、大切。
恋に落ちるということは革命的契機であり、愛は、資本主義体制の内側から亀裂を走らせる為に必要不可欠な逃走線を刻印する、肯定的な生の力そのものである。
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