2007年5月17日木曜日

ひたひたと、深く

考えたい。知性が研ぎ澄まされて、思考がどこまでも深くなっていき、感覚の地平がどんどん広がっていく時間。ニューロンの過剰発火は脳に心地よいスリル。
おそらくあたしは、知的エクスタシー中毒。

考えることはあたしにとって、呼吸すると同じこと。日常生活の煩雑で凡庸な出来事の反復に支配されてしまうと、どうしても思考が浅くなる。呼吸が浅くなる。知覚できることのレンジもどんどん狭くなる。だからふと立ち止まって、深呼吸をすることが必要。注意深く世界を感じて、ひたひたと押し寄せてくる思考の深みにはまる。フランス語でいうところのアタンションかしら。

あたしを「あるべき労働者/消費者」の鋳型にはめ込もうとする見えない権力の力は、職場や因習的な人間関係のしがらみやメディアや商品を通じて日常生活に容赦なく入り込んでくる。資本の力に流されちゃいそうになる瞬間、あたしは立ち止まって考える。
深呼吸。内なる声に耳を澄まし、内なる力を喚起させるために。
そしてあたしに立ち戻る。
深く考えること。それは現体制に対する疑問と危機感を持つことにとって必要なことである。
なぜなら日常生活こそ社会変革の実践の場であり、革命へのバトルフィールドであるからだ。