2008年12月18日木曜日

出来事としての出会い

現在連続徹夜勤務18時間明けです。

久しぶりにドゥルーズさん+ガタリさんの著書を読みかえして、格好よくてたまらなくて興奮しすぎて徹夜明けなのに眠ることができない。大学時代に擦り切れるまで読んで、それは比喩的な表現ではなく実際背表紙がばらばらにほどけるまで耽読し、熱に浮かされたように論文を書いていたのはつい数年前。

運命の書物との出会いは人生における一つの、単独性に満ちた歓喜を喚起させる、出来事。
遡及的に過去は綴られるけれど、この書物との出会いを齎してくれた偶然・必然に改めて感謝。

”Will this all be in vain because suffering is eternal and revolutions do not survive their victory?But the success of a revolution resides only in itself, precisely in the vibrations, clinches, and openings it gave to men and women at the moment of its making and that composes in itself a monument that is always in the process of becoming, like those tumuli to which each new traveler adds a stone. The victory of a revolution is immanent and consists in the new bonds it installs between people, even if these bond last no longer than the revolution's fused material and quickly give way to division and betrayal."

Gilles Deleuze and Felix Guattari, What is Philosophy?

2008年11月22日土曜日

ひとりごと

無/意識的な他者からの攻撃を受けたあたしは、疲れたぼん。
コンプレックスの三角形から抜け出せないのかしら。
自らの優越性を感じる瞬間が欲しいのかしら。
沸々と煮えたぎるルサンチマンを隠そうとしても、透けて見えるから。

そんなにディフェンシヴにならなくても、大丈夫だから。
というか、自らのコンプレックスの内部で純正培養されたルサンチマンを
攻撃性に転化させあたしにぶつけられても困るのだけれど。

以上、どうでも良い瑣末な人間関係の軋轢のひとコマでした☆

2008年11月9日日曜日

ノスタルジアはいつでも

芳しく現在に匂い立つ。

Chrysantemum For you I am a chrysantemumSupernova, urgent star
Astera Compositae For you I'll be a dandeliona thousand flowerettes in the skyOr just a drop in the ocean
If you know my namedon't speak it outit holds a power - as before
Liliacea A lily of the valleya flower of saron
Helianthus annus For you I even be a sunflowerDo you hear my enlightening laughter?another reason to cut off an ear
You know my name, do you not?don't say itFor it's a sacred, immovable - frozen
Rosa, Anemone etNymphea alba I'll even be a waterlily,a marygold, a roseor a little thistle
Euphorbiaa blue dahlia, a black tulipthat's where opinions differthe scholars disagree
My name, should you know itremains unspeakableand it's spoken - malediction

The above text is stolen from Einsturzende Neubauten - Blume.

10年前に熱に浮かされたように聴いていた↑の意味が、10年後の今深く浸透するよ。

2008年11月3日月曜日

sur-realistically,

sur-から始まる言葉
(あたしが思いつくのはSurrealism:シュールリアリズム)
sur-は、超、とか、何かを越えるといった意味だけれど、

surpass, surface, surrender, surplus(value), surfing?, survey,
sur-から始まる言葉であたしが最近よく思いつくのは、SURCHARGE!

日本-ヨーロッパ間はサーチャージのみで6万円以上。比較的近いカナダでは航空運賃3万プラス燃油サーチャージ6万、って本体価格の2倍じゃないですか。アフリカやブラジルは10万以上ですか?かつてとあるアジア系航空会社のチケット成田LA往復3万円台で購入していたあたしにはショックが大きすぎます(でもマイルはきちんとつきました)。釜山行きのフェリーにもまんべんなく(比較的安価な)サーチャージがかかるし、この片田舎で先日珍しくデモを見かけたと思ったらトラック屋さんで、運送業にもサーチャージをと、テンション低めで繰り返しながら路上をぼそぼそと練り歩いていました。

ここ最近原油価格が比較的下がりつつあって、ガソリンその他諸々も安くなっているのにサーチャージは一向に下がらないの。あたしはナイーブに考えてしまいました。燃料の価格が目に見えるほどに下がるのだから、きっと原油価格にスペキュレイトされた燃油サーチャージも下がるかしらん、と。

でも結局はヘッジされて先物化された商品だものね。今の価格は過去に既に決められた価格であって、今即時的に触れている現実から見て過去によって定められている。そして今、即自的に触れいている現実はいまここ、をすり抜け未来を反映し、将来の価格を決めている。

例えばいま原油が急落していたとしても、この価格が燃油サーチャージに反映されるのは何年後かしら?現実の価格にタイムラグが生じるとしても、正確に予言できるアナリストがもしいたら信じてみてもいい。

何てsur-realisticなのかしらん、即時的ないま・ここ現実を越えた株のスペキュレーションという作業によって、来るべき未来のリアリティが即時的ないま、ここで価格設定されているとは。

もしどなたか勉強不足なあたしにヘッジ講義を与えてくれるのならば、大歓迎で抗議いたします☆

2008年11月2日日曜日

労働と内省、からの逃走

忙しいと書いて心を失うと読む。
記憶が確かであれば「忙」の漢字の左側って、こころを意味する部位だった気が、するの。

前日の疲労が沈殿する砂袋のように重たい身体を無理やりベッドから引き剥がして今日もおはようございます。睡眠から未だ再起動中の頭を働かせ、シャワーを浴びコーヒーを淹れて、簡単な朝食と共に朝刊にざっと眼を通す。ビジネス服に身を固め顔を作り(市場が要求する、社会人という労働者に必要不可欠な仮のアイデンティティを人為的に作り出す儀式)、今日も元気な振りをして、仕事へ行ってまいります。まだ眠たげな朝の風を頬に感じ、公共交通機関に揺られ、大量生産された社会人という労働者がひしめく朝のラッシュアワーに揉まれ、人ごみを掻き分け仕事場にたどり着く。
仕事はまだ始まっていないのに、こんなにも既に労働してしまっているよ、

そうして今日も時間に区切られた、特異であるとともに平均的である労働の一日が始まる。
‥そして終わる。明日の労働が始まる為に、今日の労働は終わらなければならないのだ。

今日も労働が終わりましたよお疲れ様、と同僚と繰り出すハッピーアワー。バーは同じように今日の労働を終えた紳士淑女労働者でひしめき合っています。その喧騒の中で同僚と、ピッチャーのビールを分かち合いながらボスの愚痴や新しいプロジェクトの話題で盛り上がるかもしれません。

‥ビールの泡にまで、終わったはずの今日の労働が入ってきています。

同僚と打ち解けた時間を共有し、労働の緊張から解放され明日への活力が沸いてきたような気分です。帰りの電車の中でふと、ipodに入った英会話の教材を思い出しました。通勤時間の僅かな時間でも継続は力じゃ、と決心したが結局続けられなかった勉強。そういえばボスに英語のプレゼンがあると示唆されているし。スキルアップを目指すべく決心したのにこれじゃいかんと、反省しながら耳から流れる滑らかな発音に集中してみたり。

‥ヘッドフォンから、終わったはずの今日の労働が入ってきていますよ。

電車を降り、駅から出ると徒歩10分程度でアパートに着く。シャッターが下ろされた暗い商店街のなか白々と発光するコンビニは否が応でも眼につく。特に必要なものは無いのだが、習慣のように自動ドアをくぐり、ざっと雑誌の棚に眼を運ぶ。本日発売のポップが掲げられた週刊誌の表紙に赤で染め抜きされた、取引先会社役員のスキャンダル。半ば脊髄反射のようにその雑誌を手に取り、レジへ向かう。昼過ぎにやってきたその取引先の、気の弱そうな営業担当の顔を思い出す。噂には囁かれていたがここまでパブリックになると、今後のビジネスに影響しかねないなあ、などとぼんやりと考える。

‥凡庸なコンビニにさえ、終わったはずの今日の労働が待ち構えています。

レジの列はなかなか進まない。シフトの関係だろうか、ひとりしかいない店員と、毛沢東のような体型をしたおばちゃんが商品のクーポンのことでもめている。前に並んだ二人の客-てかてかに光った中途半端な長さの髪の中年男と、ジャージを着用した眉毛のない女-はうんざりした表情でおのおのの手のひらにある携帯電話と通信中。溜息をつきたい気分でレジの側の陳列棚に眼を向けると、目にしたことのないパッケージの商品が、しつけが行き届いた鶏のように整然と並んでいた。毛沢東おばちゃんは次第に声を荒げ、店員に食って掛かる。店員はひるむ。どうでもよいから早くして、と思いながら棚に並べられたチョコレート-『ストレス社会を生きるあなたに』と緑の文字で書いてある-を手に取る。どうやらストレスを緩和する作用がある物質が入っているチョコレートらしい。ストレス。ストレス無しに仕事なんて成立しないんじゃないかしらん。仕事の構成要素は実はストレスが92%なんじゃない?そんなことを考えていたら今日のボスの嫌味や後輩の露骨な敵意を思い出して、胃のあたりがむかむかしてきた。ああ、明日も奴らと顔をあわせなければならないのか。至極ニュートラルに響く、おはようございます、の発声練習でもしておかなければ。

‥凡庸なコンビニ商品にさえ、終わったはずの今日の労働が纏わりつく、
んだってば。

アパートのエントランスを入って丁度10歩左手、エレベーターで3階に進む。エレベーターから出て右手13歩左手の扉に鍵を差し込む。玄関で靴を乱暴に脱ぎ捨てジャケットのボタンを外しながら、バスルームに直行する。勢いよくお湯を出し浴槽にお湯を溜めながら、シャツとストッキングを脱ぎ捨てる。ふんだんにお湯がほとばしるごうごうという音を聞きながら、毎日の習慣である半身浴読書に適した本をベッドルームにとりに行く。本棚にざっと目をやり、適当に思える一冊をピックアップし、湯気がもうもうと立ち込めるバスルームへ向かう。髪を束ね、下着を外し、いまだごうごうとお湯がほとばしる浴槽にグレープフルーツの精油を幾滴か、たらす。温かいお湯に身を沈め、厚ぼったいタオルでくるまれた『入門 マクロ経済学』を注意深く、濡れないように開く。大学時代の卒論に必要だったある種のリファレンスとしてしか読んでいなかったので、いつか読み返そうと思っていた本。グレープフルーツの香りはあくまでもすがすがしく、鼻腔に張り付いてかぐわしい。
-私、女だから数字に弱いんです。
それなりに可愛いが、それなりに頭の悪い後輩がボスに自分のミスを指摘されて放った言葉だった。濃いマスカラで彩られた、天に向かって力強く直角にカールする後輩の睫毛がぱたぱたする。ボスは苦笑い。都合良く頭悪く、湾曲されたジェンダーイメージを仕事に持ち込んで他人と自分に甘えているだけだ。同席していたが故に発言を耳にしてしまったが、まるで明治時代に生きているかのような錯覚に陥った。女というカーストが存在するのか?かつてのように。
でもね、その錯覚って、珍しいことじゃなくってね、しばしば訪れるの。労働の毎日のなかで、メディアや世論や一応偉いとされている政治家の発言や、同僚や上司や知り合いの発言に、どうしょうもないような違和感を感じることがよくあるの。別にミリタントなフェミニストではないけれど、違和感を感じること自体が共同体のなかで違和そのものになり排他されるような、無言のプレッシャーを感じるが故に、表向きの沈黙を保つ。

‥嗚呼かぐわしいグレープフルーツの空間が、終わったはずの今日の労働に汚されてゆくよ。

もうもうと立ちこめる湯気の中で、『入門 マクロ経済学』の表紙は湿気を吸ってふにゃふにゃになりつつある。 真っ白な靄の中、文字は霞み、ページ数は確認不可能。

暖められた空気の中、グレープフルーツはやさしく狂おしく立ち込めて、
くっきりとはっきりとあたしの細胞に染みこんでいた、とさ。

2008年8月13日水曜日

Kobayashi Takiji

is becoming famous again in today's Japan. He has been my idle (vis-a-vis a sublime object of my intellectual drive) for past few years. I'm happy to accept that my idle is becoming the hot topic for discussing today's malfunctioning labor condition; at the same time, I feel awkward because his struggle, his agony, his pain and his scream for realizing better democratic society are still underway in the 21st century. The so-called intellectuals keep discussing today's poor labor conditions that include Haken (non-regular workers), working-poor problems, and ridiculously long labor-hours causing death or mental dysfunctions in parallel to the situation faced by Kobayashi Takiji. In the famous last scene of Kanikousen, one of the protagonist says "Unite, once again." Because of the problematic of labor condition and globally integrated capitalist society, it is essential to unite once again in order to achieve a better democratic society, as Kobayashi Takiji hoped.

2008年7月19日土曜日

しかくいピアスが

欲しいの。ダイアモンドにも見えたり光の加減によってはちゃちなガラス細工のようにも見えるしかくい透明なピアスが、欲しいの。

縁日の夜に幼女向けの屋台で売っている、屋台の白熱灯に照らされぬらりと蟲惑的に発光するやわらかく耳を噛むねじ式のプラスティックなイアリングでも良いの。

と呟けば翌日、
不当に搾取された労働力を時間という抽象的な概念によって切り売りされ、余剰労働時間及び剰余労働力を搾取された賃金形態のなかで手にした、不当に換算された賃金のなかから、明日の労働の為に必要な自らの労働力の再生産に必要なだけの生活必要物質を買い戻す為の交換過程に必要な賃金を差しい引いた、不当に換算された賃金の範疇で、不当に搾取され奴隷労働に裏打ちされた資源を加工・細工する労働によって交換価値が吊り上げられたしかくいピアスを、不当に換算された賃金のなかから、明日の労働に必要な自らの労働力の再生産に必要なだけの生活必要物質を買い戻すために必要なだけの賃金を自らの懐に残しつつ、虚ろな意識で呟いたあたしの欲しいものは言葉としてあなたの脳の襞に塗りこまれていて、
翌日

きしきしと節くれだった指はあたしにぬらりと発光するしかくいピアスを刺し
耳を噛む。

2008年6月27日金曜日

non-sensical monologue

あたしが善く思っている人々が最近、悩んだり苦しんだりしている。
直接会うことのできる人々、間接的に会うことのできる人々、そして物理的に会うことができない人々。

あたしはいてもたってもいられなくて、しかしながらあたしはそれらの人々の親族縁者でもなく、友人というにはお互いの歴史やデータが欠けているし、能動的にコンタクトを取ることが難しい現状故に、具体的な介入策を打ち出すことはおろか、相手が吐露する言葉達を真摯な態度で聞き続けることしかできやしない。逆にそんな関係だから、しがらみも何も無く、こころの赴くままに鬱屈した心的現実を言語化できるのかもしれないけれど。

何の具体的な解決にはなりやしないけれど、言葉にすることでこころにかかる重力がすこしでも軽くなって、悩みを軽やかに撥ね付けるきっかけになれればいいな。と思う反面、因習的にカテゴライズされた関係性の枠組み内で定められる、社会的規範/コードによって予定調和な他者との距離感に未だ縛られている自分と出会う。あまり近くなりすぎてはいけない、とinhibitionが働いてしまうのは、多分、油断をすれば次の瞬間、社会的規範/コードからいとも簡単に逸脱してゆく自分を良く知っているから。

うむ、守りに入っている自分に気がつく。まあI'll see what's gonna happen next...

2008年6月8日日曜日

エゴはすでに、涙まみれ

辻潤的スチルネルエゴはまるで、アルルの燦々と輝く太陽の下で描いたゴッホの絵にどしゃ降りのつめたい雨が降ったかのよう。あざやかな色彩は歪みやがて溶け、涙の波に攪拌され決壊し、限界破裂寸前故に流動的な、アイデンティティと呼ぼうには余りにも胡乱な状態だから故、男根主義的近代社会で形成されざるを得なかったあたしの括弧つきフロイド的自我は翻弄され続けているけども、確固たる自我なんて存在しようがなくて、あたしにだけ囁いてくれる括弧付きの甘い言葉を執拗に耳元で反復しながら昨夜あなたはあたしをどこまでもしつこく愛してくれたけど、眼が覚めたあたしが白く発光する朝の光のなかであなたの何を思い出すかといったら、あなたが昨夜口移しで食べさせてくれたあのドライフィグのねっとりとした蟲惑的な甘さだけで、でもしっかりとめくるめく感覚の記憶はあたしの身体に刻印されたままだしフィグのグロテスクな断面は網膜の裏にしっかりと焼きついていて真新しい朝のなかイメージは記憶として白々しく光るシーツに投影されるけれど、

目覚めたあたしのそばにあなたは、いない。

エコはもう油まみれ

原油価格が高騰している。一バレル=140円。原油自体がないわけではないのに。

とある国の偉い人の発言だとか、とある国の泥沼化した戦争による需要の逼迫さだとか、いろいろな要因が絡み合って交換価値が急激につりあがったわけだけれど、各国でデモが頻発するのは当たり前。
第三次オイルショックなんて言われてしまえば、消費者は集団ヒステリアに陥る。買いだめに走る消費者はパラノイックに購買するわけで、さらなる需要をもたらすから、短期的又は恒常的に原油の価値を高めることが可能になる。

モノとカネの即物的・即時的交換による実質経済の規模に比べ、ヘッジかけたり先物したり、様々な投機的操作:speculationによって変動し続ける仮想資本(fictitious capitalってこの日本語でアッテマスカ?)が数倍に及ぶグローバルなマーケット。投機操作や資金の投入でモノの価値が一夜にして変わり、一夜にして億万長者または生きるか死ぬかの困窮に落とし込まれる人々がいる。二元論的に断罪するのは非常にシンプルで解りやすいけれど、根底にある問題を掴みとることが必要。

そうよいまや世界はエコンスーマリズム:Eco/nsumerismの需要が右肩上がりで高まっているじゃない。オイルに焚きつけられたペトロダラーを駆使しての経済発展が劣悪な地球環境を齎し、生命が存亡の危機にさらされている今ですよ。経済発展も、生きている人がいなくては、発展できる場としての地球が無ければ、実現できないんですもの。日本国ではデザイン性に富んだエコ袋やマイ箸袋は飛ぶように売れているらしいじゃない。「エコをしっているから、している」という公共的広告に操作され、「地球によいこと」をできることからしている従順な消費者にとって、それらの商品は気軽に自分の自意識を満たす格好の対象になるでしょうさ。移動には新しく購入したハイブリットマイカーを使い、家の電球は消費電力が少ないLEDに総換え、休暇の旅行ではカーボンオフセット制度を取り入れた交通機関ならびに宿泊施設を利用。少し単価が高くたって仕方が無い、なぜなら「地球に良いこと」をしてるのだからあたしたちって、エコ意識強い素敵な市民でしょ。こうしてエコンスーマリズム・マーケティング戦略並びにCSR力強化で付加価値を高めた企業は、企業の信頼度を向上させる「地球によいこと」をしながら、富の蓄積を実現できるという、うはうはな決算期を迎えることができるのでしょうさ。

サミットあるしテーマは環境問題だし、ホスト国である日本はこの原油高騰について大したこと無いもんねー、だってうちはエコな国だし発電は原油に(それほど)頼ってないし技術大国だからどんなことでもできるし、昔オイルショックで国内消費者大混乱という歴史があるから、それから活かせる経験と実績はきちんと蓄積してるもんね、と国際世界に向けて思わず強がってしまった模様。

自然資源を搾取=利用することによって利益を生産しつづけ/てきた資本の無謀な欲望は、その発展の限界=limitを想定し、あらたなシステムを生産した。eco-capitalism:エコ資本主義、キャップアンドトレードなど、地球温暖化ガス排出権の売買に色濃く現れる、いわゆる先進国と経済発展が芳しくない国の間に立ち現れる、不均衡な関係。いわゆる先進国の過激な資本のドライブによって生産される二酸化酸素(工場、農場、消費者のライフスタイル-車など)を、経済発展がままならぬ第3諸国の国々に買ってもらい、その代償として支援をしようじゃないか。ルールはこちらが決めるから、支援が欲しかったら従え、というユニラテラルなシステム。

根源は、何処。地球に良いことだって、市場のお金のやり取りだって、結局ルールを作った人間が勝利するってことじゃない、富の蓄積の名において。

ねえ、フリードマンさん、自由経済なんてくそくらえよ。

2008年6月4日水曜日

吐露

ああもういやになってしまいそう、この手緩さに懐柔されて瑣末な日常としての関係性を、維持・発展させるためにどれだけ自分が身を粉にして(しかも半ば脊髄反射的に)、同じ言語を有する=同じルールを有する、であろうという短絡的な共同幻想を打ち立てる集団の一員として、あたかも満たされているかのように振舞う自分に。

2008年5月15日木曜日

アウェイのアウェイで戦うということ

前近代的な因習が色濃く残る地方都市の中小企業で、他者である外国人を相手にビジネスを展開させていかなければいけない、今日この頃。下手に英語ができたばかりに、全く興味が無く展望も薄いアウェイなフィールドで、利益産みマシーンの部品として組み込まれ回収され、搾取され続ける今日この頃。

「石版を持って来い」という日本語が通じない相手は、ウイトゲンシュタイン的に云えば他者である。言語という共通のコードを持たない者とのコミニュケーションを通じての、「売る-買う」という交換関係の最前線にさらされております。

どうして資本主義に飼いならされた人間は組織及び国家の利益の為に身を粉にし利潤を高める努力を重ね、全く自分とは無関係な無関係なエリアでただ資本の蓄積へ向けた剰余価値の生産に向けて、自己犠牲を重ねることができるのであろう。

外国人よりも他者なのは、全く疑問を持つことなく組織の発展及び資本の蓄積の為、自らの労働力を不当に換算された価格で販売し、自らの労働力の再生産を不当に搾取された賃金形態である自らの収入でまかない、不当に搾取された労働で生産された諸生産物を購入し明日の労働に耐えうる身体及び精神的諸能力をメインテインする従順な労働者である。そんな「奴ら」がマジョリティで成り立つ中で、ましてや「石版をもってこい」と言っても通じない他者の中で日々労働すること自体が、あたしにとってアウェイのアウェイで戦っているみたいなもの、なのですよ。

2008年5月11日日曜日

買うか飼われるか―非買という一票(枕)

先日友人と話していて、一つの結論にたどり着いた。

「買うという行為は、高度に資本主義が発達した社会での、民主的主張になりえるのだ」。

例えば地球上の全ての人々が明日からクレジットカードを使うのを止めたら、明後日には世界大恐慌が待っている。というのは極論だが(なぜならクレジットカードを所有していない人間の方が、この富の集中が必然化された資本主義社会ではマジョリティだから)、われわれが何気なく行う日常生活の購買行為が、いかにマクロなレヴェルで集束されていくかという現象を見るのが、非常に興味深い。

発端となったのは、その友人がマクロビオティックレストランのシェフをしている背景にある。彼が日本国「独自」であるそのアートを学んだ場所は、なぜかニューヨークだったが。そして現在、日本国のとあるエリア、IK袋で小規模な商業展開をしている友人は鍛錬と勉強を重ね、Mr.KUSHIの理論と実践に基づいたメニューを展開させている。マクロバイオティックは簡単に言えば、からだと食材を陰と陽の性質になぞらえ、その質性のバランスを食事を通じて保ち身体の健康をキープするという考えに基づいている。(かなり適当でごめんなさい)。プロとして毎日病気に悩む人々や、からだにいいものを摂取したい願望を持つお客様のニーズに応えるべく日々研究の毎日を友人は送っておりました。所謂クリシェな「スピリチュアル」マーケットの需要ともタイミングが重なって、お店は結構繁盛してたとのこと。

でもね、からだに良い食事を提供するプロの彼が愛して止まないものは、ビッグマックなの。

ある日彼は、お店が入っている駅ビルの地下にあるマックで大好きなビックマックをお昼休みに食べていたの。ラージサイズの(ダイエットではない)コーラを吸引しながら、塩化ナトリウムまみれのフレンチフライで指を油とケミカルまみれにさせて。彼にとっては、至福のお昼休み。人間工学に基づいて作られた、回転率をマキシマムに上げるテーブルと席の配置。通行人にも食欲を喚起させたいから、勿論店舗はガラス張り。彼が薄いピクルスをケチャップまみれの指で外してふと眼を上げると、若いカップルがガラス越しに立っていたの。歌舞伎の女形のようにひょろりとした顔色の白い男と、黒いパンツスーツスーツで身を固めた眼鏡の女。彼は先ほどメインの豆の煮物を出したときにご挨拶させていただいたあのカップルだ、と思い出しながらも相変わらず肉なんだかパンなんだか解らないビックマックをを咀嚼し、(ダイエットではない)コーラで流し込む。ガラス越しの男女がなにか話しているが、彼には聴こえない。指に絡みついた塩化ナトリウムをつるつるしたペーパーナプキンで彼は拭う。女はきっと眼を上げ、なにかを決心したように歩き始める。ガラスの自動ドアが開き、不自然に甲高いマニュアルどおりの声が、店内に響き渡る。女の高らかなヒールの足音がリノリウムの床に反響しながら、彼に近づいてくる。彼が(ダイエットではない)コーラを吸い込んでいると、

「すみません」
と女が云う。振り返ると、先ほど食後のチコリ入りコーヒーにひどく歓んでいたお客様の女がいた。
「はい?」
口元に付着したケチャップをペーパーナプキンで拭いながら、彼は応える。
一瞬、酸素が薄くなった気がした。女が次の言葉をつなぐ為に吸い込んだ呼吸があまりにも深すぎて。
「あなた、マクロバイオティックやっているシェフなのに、マック食べていて、どうなのよ?」

-で、あなたはどう応えたの?
-体が欲しがるものに素直でいることが、健康のためだからって。
-それで、そのスーツ女は納得した?
-ううん。身体がそんなジャンクを欲しがること自体、あなたの身体がジャンクな証拠だって。そんな人がマクロバイオティックのシェフやっているんなんて、信じられないって、静かではあったけどひどく怒ってたよ。
-職業と私生活をごたまぜにするのは、近代の病理よね。実は子供が大嫌いな保母さんだって世界には沢山いるもの。
-なんだかひどく怒っていてさ、結構頻繁に来る常連さんだったんだけどね。まあ、連れの男がなだめて、ぶつぶつ云いながらマックを出て行ったよ、その女。
-大変だったね。お昼休みにまでそんなお客様のお世話するなんて。
-ううん、大丈夫。結局ちいさなことで怒るのは肝臓の働きが鈍って、陽が強い状態なんだ。きんぴらごぼうとごましおご飯食べたら、すぐそんなのなくなるよ。マクロバイオティック的に云えば。

という友人と話をしていたら、表記「買うか飼われるか」というテーゼが生まれてきたのだ。
枕が長くなってしまった。今日はここまで。本編はまた今度にします。

2008年5月10日土曜日

the Shock Doctrine

先日某英語圏カンガルー国出張へ出かけた際に見つけて小躍りした、ナオミ・クラインの上記新刊。同時に買った或るゴアのthe Assault of Reasonは読み終わる前に翻訳が出たようで悔しい。別にどっちでも良いのだけれど、翻訳の腕次第なのだ。さらに大きいのは、コストの問題。日本のハードカヴァー買うよりは安いしね。

以下でサマライズ。
http://www.youtube.com/watch?v=kieyjfZDUIc

CIAによって適用された1950年台洗脳テクニック(冷戦構造下における心理学の負の遺産?電気ショックセラピー)という「ショック」による人格の破壊と変容と、フリードマン式ネオリベ政策(超民営化!規制緩和!公共事業予算カット!)のパラレルという着眼点が非常に興味深い。さらに社会的「ショック」(戦争、テロ、自然災害)を更なる資本の蓄積へと結び付けてゆくネオリベ国家の政策と介入、民間企業と国家が共謀し人為的に仕掛けていく戦争などの「ショック」によって我々に齎されるdisasterは筆舌に尽くしがたい問題。disaster capitalismと名付けるナオミ・クレインは本当にエレガント。Because capitalism is always already disastrous!

そういえばこの間マイケル・ムーアのSickoを見た。キューバのグアンタナモベイへの「突撃インタヴュー」で思わず冷笑と爆笑。心理学の負の遺産(とあたしはあえて呼ぶけれど)が結晶化された拷問とinterrogationと人格・人権剥奪の場所に、アメリカ本国ではブルジョワしか受けられない5つ星ホテルクラスの医療設備とサービスが整っているんだものね。息子ブッシュが切望した「大量破壊兵器」とスッダーム・フセイン(彼は必死に探している人の名前さえも発音できなかったの)の関連を裏付ける陳述を得るまでは、拷問/治療/洗脳/拷問のエンドレスサイクルを行うしかなかったのよね。ボスが求めることを所謂テロリストが言葉にするまでは、死なせては困るもの。手ひどく拷問して、手厚く看護して、科学的に証明された方法で人格破壊してボスが求める言葉を言わせて記録です。元グアンタナモベイの囚人による訴訟は長期化しているみたいだけど、結局裁かれるのはボスの命令に従った職務に熱心だった現場の人間。What a disaster...