2007年9月21日金曜日

最近気になること

興味の対象は、分裂的に広がっていく。
最近のニュースで気になる対象を箇条書きにすると:

1.サブプライムローンの焦げ付きと金融バブル
→世界的に飛び火する金融危機。
貧困層の限られた資本力さえも巻き込み自滅する、
資本の無謀なドライヴ。
2.日本のパキスタン軍への給油活動、そして国連の「謝意」
→自民党総裁選へと向けた保守派の苦肉の策。
国連において権限を持たない国が、国連をコントロールする某国が行う、
泥沼の戦争支援をすることによって得る、反対勢力である民主党への牽制。
3.地球温暖化による永久凍土の溶解による大量のメタンガスの発生
→二酸化炭素の数十倍にもおよぶ温暖化ガスのemission。
温暖化が温暖化を生む、生命の危機。

2007年9月16日日曜日

before then

http://stop-rokkasho.org/read/before-then-j.html
Norma Fieldの詩を読んでいたら、 やっぱり音を聴きたくなりました。
http://stop-rokkasho.org/media/1/67_before-then.mp3

放射性廃棄物の再処理工場では、 原発が出す一年分の放射能を、
一日で放出する。
日本中の原発の廃棄物は、六ヶ所村に集められ処理される。
青森県六ヶ所村の海や空や大地や鳥や魚や花や人は、
垂れ流しのプルトニウムで汚染され放題。

あたしが大好きな、蜜がぎっしり詰まった林檎を 齧った瞬間、
ヒバクしてしまうってことかしら。

So what's gonna happen after all?

新聞のヘッドラインは無味乾燥に原発事故を報道する。
目に見えない放射能は、ひたひたと命を侵食する。

だから、想像するしかない。

あたしの呼吸と六ヶ所村の空はつながっている。
だけどメディアは、あたかも繋がっていないように、報道する。
過剰なセンティメントとは距離を置いたつもりなのに、 想像してしまう。
after allではなくbefore thenの可能性を。

過去日記その2

I shop therefore I am. 我買う故に我あり。 資本主義的デカルト型人生。

テレビの電源を入れるとコマーシャルが五月蝿い。
受動的に摂取する情報の、オートマティックな刷り込み。
これを買うとあなたは幸せになれますよ。
これを所有すると、ステキなライフスタイルが約束されます。
だから買ってね、にっこり。極上の、洗練された笑顔。
企業の欲望のメッセンジャー。
快楽原則=更なる資本の蓄積と富の集中。

CMには耳障りの良いコピー、手ぬるいBGM、
そして 旧共産圏の国営放送の主人公みたいな笑顔しか出てこない。
にっこり。幸福の徴しである笑顔。
笑顔イデオロギーは宣伝媒体を介して、日常に侵食してくる。
あたしにとってそれは余りにも健康的で人工的で、白々しく、空恐ろしい。

稀にアクシデントで、モールやデパートに迷い込んでしまう。
消費空間は至るところに待ち受けているから、回避不可能。
大量生産プラスティックとメイドイン搾取工場お洋服に包囲され、 膨大な量のモノと情報のインフレーションにくらくらと眩暈。 陳列された沢山の商品。倉庫での大量虐殺が約束されたモノ。 メディアと企業が手を組んで、技術的に生み出される流行。 虐殺を免れるか否かは、多国籍企業の戦略に依存している。 ダーウィン的淘汰。資本主義が形成する「自然」のなかで。 流行としての価値。

流行としてのハイテンポな情報更新。
「つまり・・・モノの価値=時間を奪い取ることである」      
『消費社会の神話と構造』ジャン・ボードリアール