2008年5月15日木曜日

アウェイのアウェイで戦うということ

前近代的な因習が色濃く残る地方都市の中小企業で、他者である外国人を相手にビジネスを展開させていかなければいけない、今日この頃。下手に英語ができたばかりに、全く興味が無く展望も薄いアウェイなフィールドで、利益産みマシーンの部品として組み込まれ回収され、搾取され続ける今日この頃。

「石版を持って来い」という日本語が通じない相手は、ウイトゲンシュタイン的に云えば他者である。言語という共通のコードを持たない者とのコミニュケーションを通じての、「売る-買う」という交換関係の最前線にさらされております。

どうして資本主義に飼いならされた人間は組織及び国家の利益の為に身を粉にし利潤を高める努力を重ね、全く自分とは無関係な無関係なエリアでただ資本の蓄積へ向けた剰余価値の生産に向けて、自己犠牲を重ねることができるのであろう。

外国人よりも他者なのは、全く疑問を持つことなく組織の発展及び資本の蓄積の為、自らの労働力を不当に換算された価格で販売し、自らの労働力の再生産を不当に搾取された賃金形態である自らの収入でまかない、不当に搾取された労働で生産された諸生産物を購入し明日の労働に耐えうる身体及び精神的諸能力をメインテインする従順な労働者である。そんな「奴ら」がマジョリティで成り立つ中で、ましてや「石版をもってこい」と言っても通じない他者の中で日々労働すること自体が、あたしにとってアウェイのアウェイで戦っているみたいなもの、なのですよ。

2008年5月11日日曜日

買うか飼われるか―非買という一票(枕)

先日友人と話していて、一つの結論にたどり着いた。

「買うという行為は、高度に資本主義が発達した社会での、民主的主張になりえるのだ」。

例えば地球上の全ての人々が明日からクレジットカードを使うのを止めたら、明後日には世界大恐慌が待っている。というのは極論だが(なぜならクレジットカードを所有していない人間の方が、この富の集中が必然化された資本主義社会ではマジョリティだから)、われわれが何気なく行う日常生活の購買行為が、いかにマクロなレヴェルで集束されていくかという現象を見るのが、非常に興味深い。

発端となったのは、その友人がマクロビオティックレストランのシェフをしている背景にある。彼が日本国「独自」であるそのアートを学んだ場所は、なぜかニューヨークだったが。そして現在、日本国のとあるエリア、IK袋で小規模な商業展開をしている友人は鍛錬と勉強を重ね、Mr.KUSHIの理論と実践に基づいたメニューを展開させている。マクロバイオティックは簡単に言えば、からだと食材を陰と陽の性質になぞらえ、その質性のバランスを食事を通じて保ち身体の健康をキープするという考えに基づいている。(かなり適当でごめんなさい)。プロとして毎日病気に悩む人々や、からだにいいものを摂取したい願望を持つお客様のニーズに応えるべく日々研究の毎日を友人は送っておりました。所謂クリシェな「スピリチュアル」マーケットの需要ともタイミングが重なって、お店は結構繁盛してたとのこと。

でもね、からだに良い食事を提供するプロの彼が愛して止まないものは、ビッグマックなの。

ある日彼は、お店が入っている駅ビルの地下にあるマックで大好きなビックマックをお昼休みに食べていたの。ラージサイズの(ダイエットではない)コーラを吸引しながら、塩化ナトリウムまみれのフレンチフライで指を油とケミカルまみれにさせて。彼にとっては、至福のお昼休み。人間工学に基づいて作られた、回転率をマキシマムに上げるテーブルと席の配置。通行人にも食欲を喚起させたいから、勿論店舗はガラス張り。彼が薄いピクルスをケチャップまみれの指で外してふと眼を上げると、若いカップルがガラス越しに立っていたの。歌舞伎の女形のようにひょろりとした顔色の白い男と、黒いパンツスーツスーツで身を固めた眼鏡の女。彼は先ほどメインの豆の煮物を出したときにご挨拶させていただいたあのカップルだ、と思い出しながらも相変わらず肉なんだかパンなんだか解らないビックマックをを咀嚼し、(ダイエットではない)コーラで流し込む。ガラス越しの男女がなにか話しているが、彼には聴こえない。指に絡みついた塩化ナトリウムをつるつるしたペーパーナプキンで彼は拭う。女はきっと眼を上げ、なにかを決心したように歩き始める。ガラスの自動ドアが開き、不自然に甲高いマニュアルどおりの声が、店内に響き渡る。女の高らかなヒールの足音がリノリウムの床に反響しながら、彼に近づいてくる。彼が(ダイエットではない)コーラを吸い込んでいると、

「すみません」
と女が云う。振り返ると、先ほど食後のチコリ入りコーヒーにひどく歓んでいたお客様の女がいた。
「はい?」
口元に付着したケチャップをペーパーナプキンで拭いながら、彼は応える。
一瞬、酸素が薄くなった気がした。女が次の言葉をつなぐ為に吸い込んだ呼吸があまりにも深すぎて。
「あなた、マクロバイオティックやっているシェフなのに、マック食べていて、どうなのよ?」

-で、あなたはどう応えたの?
-体が欲しがるものに素直でいることが、健康のためだからって。
-それで、そのスーツ女は納得した?
-ううん。身体がそんなジャンクを欲しがること自体、あなたの身体がジャンクな証拠だって。そんな人がマクロバイオティックのシェフやっているんなんて、信じられないって、静かではあったけどひどく怒ってたよ。
-職業と私生活をごたまぜにするのは、近代の病理よね。実は子供が大嫌いな保母さんだって世界には沢山いるもの。
-なんだかひどく怒っていてさ、結構頻繁に来る常連さんだったんだけどね。まあ、連れの男がなだめて、ぶつぶつ云いながらマックを出て行ったよ、その女。
-大変だったね。お昼休みにまでそんなお客様のお世話するなんて。
-ううん、大丈夫。結局ちいさなことで怒るのは肝臓の働きが鈍って、陽が強い状態なんだ。きんぴらごぼうとごましおご飯食べたら、すぐそんなのなくなるよ。マクロバイオティック的に云えば。

という友人と話をしていたら、表記「買うか飼われるか」というテーゼが生まれてきたのだ。
枕が長くなってしまった。今日はここまで。本編はまた今度にします。

2008年5月10日土曜日

the Shock Doctrine

先日某英語圏カンガルー国出張へ出かけた際に見つけて小躍りした、ナオミ・クラインの上記新刊。同時に買った或るゴアのthe Assault of Reasonは読み終わる前に翻訳が出たようで悔しい。別にどっちでも良いのだけれど、翻訳の腕次第なのだ。さらに大きいのは、コストの問題。日本のハードカヴァー買うよりは安いしね。

以下でサマライズ。
http://www.youtube.com/watch?v=kieyjfZDUIc

CIAによって適用された1950年台洗脳テクニック(冷戦構造下における心理学の負の遺産?電気ショックセラピー)という「ショック」による人格の破壊と変容と、フリードマン式ネオリベ政策(超民営化!規制緩和!公共事業予算カット!)のパラレルという着眼点が非常に興味深い。さらに社会的「ショック」(戦争、テロ、自然災害)を更なる資本の蓄積へと結び付けてゆくネオリベ国家の政策と介入、民間企業と国家が共謀し人為的に仕掛けていく戦争などの「ショック」によって我々に齎されるdisasterは筆舌に尽くしがたい問題。disaster capitalismと名付けるナオミ・クレインは本当にエレガント。Because capitalism is always already disastrous!

そういえばこの間マイケル・ムーアのSickoを見た。キューバのグアンタナモベイへの「突撃インタヴュー」で思わず冷笑と爆笑。心理学の負の遺産(とあたしはあえて呼ぶけれど)が結晶化された拷問とinterrogationと人格・人権剥奪の場所に、アメリカ本国ではブルジョワしか受けられない5つ星ホテルクラスの医療設備とサービスが整っているんだものね。息子ブッシュが切望した「大量破壊兵器」とスッダーム・フセイン(彼は必死に探している人の名前さえも発音できなかったの)の関連を裏付ける陳述を得るまでは、拷問/治療/洗脳/拷問のエンドレスサイクルを行うしかなかったのよね。ボスが求めることを所謂テロリストが言葉にするまでは、死なせては困るもの。手ひどく拷問して、手厚く看護して、科学的に証明された方法で人格破壊してボスが求める言葉を言わせて記録です。元グアンタナモベイの囚人による訴訟は長期化しているみたいだけど、結局裁かれるのはボスの命令に従った職務に熱心だった現場の人間。What a disaster...